<%@ Language=JavaScript %> 城山公園 | 芝生のある公園に行こう!
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「芝生のある公園に行こう!」では藤沢市周辺の芝生広場のある公園を紹介しています。

 
   
城山公園  (早川城跡)     基本情報 | フォト | 歴史    


城山公園は早川城址に古くからある素朴な公園です。近年周辺の森林地域も整備され公園らしい、公園になりました。芝生広場は広いのですが、芝の根付きが今ひとつなのが残念。しかし自然の地形が生かされているため、いろいろな楽しみ方が出来 ます。また。遊具も充実しています。その他、バーベキューなどが出来る施設もあります。


基本情報

公園名 綾瀬市立 城山公園
あやせしりつ しろやまこうえん
住所 神奈川県綾瀬市早川城山3-4-1
TEL 0467-70-5627
公園内マップ 綾瀬市ホームページ
アクセス ●小田急線/相鉄線 海老名駅より綾瀬市役所行き→「城山公園」下車
●小田急江ノ島線 長後駅より綾瀬市役所行き→「綾瀬市役所」下車 徒歩10分
アクセスマップ googleマップ
駐車場 約100台(無料)
駐車場利用時間 通常 8:30〜18:00
6/1〜7/31 8:30〜22:00
トイレ 3ヶ所
遊具 全長60m(くらい)のローラーすべり台、すべり台、アスレチック遊具、ぶらんこなど
お奨め度 ★★★★ 
管理者 神奈川県綾瀬市
分類 住区基幹公園/地区公園
公式サイト 綾瀬市ホームページ
Cool!
その他 
炊事棟があり 炊事棟がありバーベキューなどが出来る。カマド一基が1,500円で利用可能。また用具一式(鉄板、網、包丁、まな板など)も無料で借りれる。事前予約は必要だが、市民以外も利用可能。用具持参のBBQなどは不可。
詳細

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フォト

遊具広場には沢山の遊具があります。

一番人気のロングローラーすべり台

上からの画像です。

迫力満点。

アスレチック遊具

ロープジャングルジム

すべり台

レクリェーション広場の遊具

桜広場

桜広場(公園中央)の野外ステージ

レクリェーション広場

トイレは管理が行き届いており、清潔。

炊事棟にはカマド4基があり、バーベキューなどが出来る。

周辺にきれいな湧き水が出ています。
 
   

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歴史

園内の案内に表示されている内容を掲載しています。

縄文時代の城山
早川城跡の発掘調査では、早川城が造られる以前の縄文時代や古代における生活の様子も明らかとなっています。台地平坦部からは約5000年前にあたる縄文時代中期の竪穴式住居址(たてあなしきじゅうきょし)2軒が発見されました。いずれの住居も使用後のごみ捨て場として利用されており、多量の土器や石器が出土しています。出土した土器は「勝坂式土器(かつさかしきどき)」と呼ばれる、関東地方の縄文土器の中で最も装飾性(そうしょくせい)に富んだ土器で、土器に施された文様から、縄文人の創造性の豊かさを知ることが出来ます。台地上にはさらに多数の竪穴式住居址が存在するものと思われます。周辺には、早川天神森(はやかわてんじんもり)遺跡や道場窪(どうじょうくぼ)遺跡など、同時期の縄文時代のムラが隣接して作られており、当時、早川城一帯は、豊かな自然に恵まれ縄文人にとって住みやすい場所だったことが想像されます。
古代の城山
古墳時代の終わりごろから奈良・平安時代にかけて、早川城跡周辺には大きなムラが造られます。城山中学校から早川城跡にかけての台地上からは、100軒を超える竪穴式住居址(たてあなしきじゅうきょし)が発見され、目久尻川(めくじりがわ)を挟んだ対岸の宮久保遺跡(県立綾瀬西高等学校)からも、150軒の竪穴式住居址が発掘調査されています。
古代と呼ばれるこの時代、都を中心に律令国家(りつりょうこっか)が確立し、地方には国府(こくふ)、群が(ぐんが)が設けられました。律令国家を支えた人々は、竈(かまど)を備えた竪穴式住居に住み、収穫した穀物は、掘建柱建物(ほったてばしらたてもの)と呼ばれる倉庫に蓄えていました。住居址内からは土師器(はじき)と呼ばれる土器とともに、須恵器(すえき)呼ばれる陶器が出土するようになります。また、鉄製の農耕具や文字の書かれた土器(墨書土器(ぼくしょどき))が出土することから、この当時庶民レベルまで鉄製品や文字が普及し始めたことが分かります。早川城跡や宮久保遺跡からは、都で作られた奈良三彩(ならさんさい)と呼ばれる珍しい陶器も出土しています。

渋谷氏(しぶやし)と早川城跡(はやかわじょうせき)
渋谷氏は平安の末期、綾瀬市域を中心に渋谷荘(吉田荘)という荘園を支配し、勢力をもった武将でした。「吾妻鏡(あずまかかみ)」によると、平治の乱(1159年)に敗れて奥州に落ち延びてゆく源氏の重臣佐々木秀義(ささきひでよし)を渋谷重国(しぶやしげくに)が保護したとの記載があることから、この頃までには綾瀬市域一帯を支配下に置いたものと思われます。
鎌倉時代になると、渋谷重国は源頼朝の家臣である御家人となり、その子高重は早川次郎と名乗り、早川に拠点を置いて一族を統率していたものと思われます。1213年の和田合戦(わだかっせん)では高重は和田義盛に組したため高重はじめ多くの一族が討たれましたが、1247年、宝治合戦(ほうじかっせん)の後、その軍功により薩摩国入来院(さつまのくにいりきいん)ほかに所領を得、地頭となり、その際多くの一族が薩摩に移って行きました。しかし室町時代の初め頃までは綾瀬市域に渋谷氏の支配が続いたと思われ、その一族が早川城を築城したと考えられます。

堀切(ほりきり)と土塁(どるい)
鎌倉時代に築城されたと推定される早川城は、天守閣を持つ江戸時代の城と異なり、自然お地形を巧みに利用し、堀切と土塁を周囲に巡らした「砦(とりで)」的な要素の強い城郭であることが発掘調査によって明らかとなりました。堀切とは外敵の進入を防ぐため、城の周囲に巡らされた堀のことです。堀切の内側には、堀切を彫った土を利用して、土塁と呼ばれる高い土手を築き、さらに堅固(けんご)な防御施設を作り上げています。早川城の場合、東西及び南側は急峻(きゅうしゅん)な崖に囲まれ、自然の要害(ようがい)となっています。しかし、北側は平坦なため、幅約11m、深さ5m以上という大規模な堀切と土塁を築いて敵の侵入を阻んでいます。
早川城は、有事の際に周囲に暮らす武士たちが集結して、外敵の進入に備える棒行施設として、また領民に対しては、権力を誇示するシンボルとして機能していたと思われます。
物見塚(ものみづか)と東郷氏祖先発祥地碑
早川城本郭の西側に位置するこの塚は、物見塚と呼ばれています。南東21m、東西23m、高さ2mの塚です。発掘調査の結果、表土直下に宝永火山灰(ほうえいかざんばい)(1707年富士山の噴火による火山灰)が見られることから江戸時代初期以前に築かれていることは明らかです。また塚の作り方が土塁と同様の版築(はんちく)(黒土と赤土を交互に敷き詰めて突き固めたもの)であることから、城郭の関連遺構のひとつであり、外的の進入を見張るために築かれた塚だと思われます。
物見塚の上には、昭和7年に祖先発祥地東郷会により建てられた「東郷氏祖先発祥地碑」があります。この碑は日露戦争で有名な旧海軍元帥(げんすい)東郷平八郎の祖先の地であることを記念して建てられたものです。東郷家は、早川城主であったと伝えられる渋谷氏の末裔の一つでした。

1号柱穴列(ちゅうけつれつ)から出土した火舎片(かしゃへん)
平成3・4年度の発掘調査の結果、早川城の北西部の斜面に段切して作られた腰郭(こしくるわ)に掘建柱建物の柱穴列が見つかりました。柱穴は全部で5つで、その内の4つは直怪が50cm・深さが70cmあり、建物の主柱用の穴であると思われます。早川城の関連施設の一つで、見張り小屋的機能をもった建物跡と思われます。
この柱穴列の箇所よりかわらけとともに瓦質で出来た火舎の口縁部(こうえんぶ)の破片(口径42cm)が出土しました。火舎とは火鉢(ひばち)のことです。口縁の部分には二本の沈線(ちんせん)の間に押印菊花文が、またその直下と下端部分にも珠文帯(じゅもんたい)がめぐっています。このような特徴から14世紀ごろ(鎌倉時代後期から室町時代前期)作られたものと推定されます。中世の出土遺跡が少ないなか、早川城の成立を解明していく上で重要な遺物の一つです。

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