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「芝生のある公園に行こう!」では藤沢市周辺の芝生広場のある公園を紹介しています。 |
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大庭城は、平安時代末期(12世紀末)、大庭荘(おおばしょう)を本拠としておこった関東平氏の雄(ゆう)、大庭氏の拠点であったと伝えられますが、明らかな記録はなく、室町時代中期(15世紀後半)になって、扇谷(おおぎがやつ)上杉定正(うえすぎ さだまさ)の執事、太田道灌(おおた どうかん)が本格的な築城を行ったとされています。その後、上杉朝良(うえすぎ ともよし)のとき、北条早雲(ほうじょう そううん)に攻略され、以後、小田原北条氏の支配下に置かれました。そして、天正15年(1587)、小田原北条氏が豊臣秀吉(とよとみ ひでよし)に滅ぼされ大庭城は廃城となったようです。現在残されている土塁(どるい)・空堀(からぼり)などの城址の構えには、小田原北条時代の改修があったものと考えられていますが、雄大でかつ綿密に設計されていたことは、築山(つきやま)、裏門、二番構(にばんがまえ)、駒寄(こまよせ)などの地名からもしのばれます。 |
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